昭和23年から昭和33年まで、在日米軍化学兵器補給廠顧問兼通訳として勤務。
昭和33年から63年の30年間、遠藤英語教室の経営に携わり、昭和38年に通訳案内業法国家試験(英語)に合格し、同年栃木県知事発行の通訳案内業法免許証の交付を受け、外人案内(観光ガイド)を副業とする。のち群馬県に移住し、群馬県知事発行の免許証に更新 。
戦前、日本四柱推命の最高権威阿部泰山師と霊理学派姓名学の重鎮島田啓二郎氏と邂逅し、四柱推命学と姓名学の神秘と真髄を知った。
前者は人の生年月日時を用いて運命を判断する宿命的な運命学であり、後者は人の姓名を用いる運命学となり、姓名組み立て規則を遵守すれば吉名、違反すれば凶名となるので、人の運命の吉凶を統計的に集約できるだけに科学的な運命学であると言えるが、半世紀以上を両者の研究に心血を注ぎ、ついにその真髄を窮めて、正しい人間の運命を知るには先天的運命を検索できる理法推命学を用い、後天的、且つ凶運である先天命運の人の矯正を理法姓名学に委ねる事とした。
理法姓名学は、推命学を初め天中殺の算名術、九星・気学や大殺界の六星占術の如き宿命学的、呪詛的な運命学より遥かに合理的で融通性に富む運命学であると確信し、この理法姓名学の普及宣伝に余生を捧げたいと考え現在に至る。