No.8 幸福の四条件
 

 「人間臨終図巻」に取り上げられた日本を代表する有名人がどんなに偉い人だったにせよ、「あんな惨めな死に方だけは絶対にしたくない!」と叫ばせるような死に方をした人々を彼は幸福な人の範疇(はんちゅう)に数えず、返って不幸な人と呼ぶ理由は、その人の業績と不幸な死に方とは次元の異なる問題だと考えるからで後生の良い死に方をしなかったなら、どんなに燦然たる栄光の人でも不幸の人だったと考える一方で、例え、名も無く地位も無い人でも、病気や怪我(けが)に悩まされず、一家団欒、平和な家庭を築いて悠々と生涯を終えた人々こそが本当に幸福な人だったと考えますから、「人間臨終図巻」の登場人物が穏やかな死に方か、それとも断末魔の苦悩に苛まれて死んだのかに依って、その人の幸、不幸の判断材料としていますから、その意味で望み通りに絢爛たる桜花の下で死ねた西行法師は幸福な人で、権力の権化藤原道長は盈満(えいまん)の咎(とが)めを受け、糖尿病の合併症で苦しんで死んだので不幸です。三島由紀夫も天寿を全うせず、自衛隊で割腹自殺を遂げたので不幸な人の範疇の人です。

 彼は平凡な常識人であり、旧式な倫理観を持つ典型的な大正生まれの人間ですから、戦前の教育勅語式の倫理観を待ち、ベストセラー作家の描く男女の燃えるが如き蕩(とろ)けるような情交の模様を微(び)に入り、細を穿(うが)つ優れた文芸作品であったとしても、情事に没頭して最後に心中を図る結末の小説を芸術作品として鑑賞するだけの教養も学識も見識もありません。往々にして傑作と称される小説には理解し難い芸術観を持つ低俗極まる男でありますから、流行作家の流麗な筆になるベストセラー小説の主人公達が満たされても、満たされても、更に又、限りなく欲望を膨らませて行く情熱を欲望の塊と見る彼は、社会的制約の一切をかなぐり捨てる男女の秘め事に全てを忘れ現を抜かす情況を描いた小説の類には、例え、芸術的だ、見事な描写だと讃美する人がいたとしても、昔、友人が彼に貸した小栗風葉が書いたと言う艶書「袖と袖」の男女の秘事を顕わにした艶本の類を、時と人物を変えただけの小説だと考える彼は満天下の婦女子の紅涙を搾らせると賞賛される小説類には抵抗感を抱き、欲望産業の殷賑が若い世代を堕落に陥れていると言う思いを払拭出来ない男です。

 経済を専門に取り扱い、内容が堅いと称される某新聞でも有名な流行作家の小説が二度に亙り掲載されましたが共にベストセラーであって、有島武郎と田村秋子の情事事件が異なる著者によって異なる形式で小説化されて居ると彼には思われて、何れも主人公は愛する女性、而かも他人の人妻に対し、彼女の夫から満たされぬ性の満足感を与える為に必死とも言える主人公の秘技により絶頂感を与えられた平凡な人妻が遂には家庭を捨てる破壊行動を平然と行うとすれば、社会的に問題だと考える彼は西鶴の「好色一代男」以上に性の修行に現を抜かす主人公を赦せないと考える心の狭い男であって、主人公の小説家に依って夫から得られぬ絶頂観を体験した貞淑だった平凡な人妻が、最早平凡な夫との性交渉を嫌うのも、彼女が求める性感を得らないと言う苦痛が彼女に欲望の無限地獄の呵責を与え、悶え狂いさせると考えると、彼には近松浄瑠璃の真髄が理解出来ない無粋な男だと自らも考えますから、ノーベル芸術賞の候補に挙がった絢爛たる三島文学の芸術性を理解、把握する心情や教養に欠ける恨みを自分でも抱居て悲しくなりますが、三島由紀夫が真の芸術小説と激賞するジョルジュ・バタイユの「マダム・エドワルダ」などは翻訳文の難解さから卑猥な文章の羅列と写り彼の芸術的思いを麻痺させて、寧ろ唾棄(だき)すべきとさえ思わせます。



 彼の考える「幸福観」は愚直とも言える程戦前の価値観に徹する狭量の思想の持ち主ですから「朝の最初の良い時間を一、ニの新聞で潰(つぶ)す人は終日仕事をする気をなくしてしまう」
日本の知識階級に人気のある「幸福論」の著者カール・ヒルテイの言葉に反駁するのです。

 成る程、ヒルテイはベルン大学の2度に亙る総長を経て宗教的、倫理的人生論的な論文や多くの著述を残し国会議員やハーグ国際仲裁裁判所判事を歴任した頗(すこぶ)る高給な人で、1909年10月、長年恒例の朝の散歩中、急に気分が悪くなって急遽ホテルに戻って横になり、一緒に居た次女が暖かい飲み物を持って戻った時は既に死亡していたと言いますから、ピンピンと健康に生きてコロリと死ぬ事が出来たので新聞嫌いは兎も角も彼はヒルテイを真の幸福な人だと考え、ヒルテイの死に方に敬意を表し、見習いたいと羨望もするのです。

 高齢者が体細胞の死滅と共に自然と老衰し、臨終に至ると言う死に方が本当の幸福ですが、そこで彼は「幸福な人の条件」を考えて見て、概ね次の解釈に至りました。
第一条件として古希を過ぎても、病気に罹らない丈夫な人であり、日々を健康で居られ、生活習慣病など罹(かか)らない人であり、不幸にして病に罹っても病気に対する抵抗力があり、治癒力が極めて高く所謂「傷(きず)病(や)み」などをしない、丈夫に健康に生活している人です。

 日経新聞の「私の履歴書」の執筆者には裕福な家庭に育った子供も勿論、教養のある両親を持った子や裕福な家庭に生れて来た人達も多くいる反面、赤貧洗うが如き極貧の家に生れた人もいますが、「私の履歴書」に執筆を依頼された人々は、例外なく、成功された人々であって、大方が日本の各分野で傑出した偉人達ばかりであり、新聞やテレビなどでも彼らの日常生活も報道され、ピンピン・コロリを実践出来る人でもあります。

 第二条件として古希を過ぎての老後生活が充実を得られる人であって、老いてから子供の世話にならない人でもあり、悠々自適の老後を送れる人でありますが、恒産が無ければ、当然恒心もありませんから、狂瀾怒涛のこの世を老後生きるにはそれを維持する経済力を持たなければ子が親を世話する事が過重となり、子供に姥(うば)捨(す)て思想を醸成させるのです。

 第三条件は古希に至る迄に自分の家族の逆死を見ないことですが、子供に先立たれた親の心境は筆舌に尽くせぬ苦痛であり、愛児を誘拐された人々の悲しみは無限地獄の責め苦でありますから、愛児に先立たれた両親の苦悩を待たない事も幸福の条件となり得るのです。
子供の為には自分の命を投げ出す人も居るのに横田めぐみさんを始め拉致した北朝鮮の暴挙は天地共に赦(ゆる)しませんが、五原則の天地に凶格を持つ人に多い事実は残念です。

 第四条件は縁あって結婚した夫婦は偕老同穴を誓い健康で金婚式を迎えられる夫婦です。
還暦や古希以前に離婚に及ぶなどは神前結婚なら立ち会った神様への冒涜(ぼうとく)ですから、互い義務違反にならない様に心掛けるべきですが、相思相愛の二人が、好きあって互いの長所を認め合い目出度く結婚出来たのですから、互いが既に最大の幸福を得ている筈です。

 見ず知らず同士が結婚する見合い結婚の場合と違って、互いに愛し合って結婚出来る慶びを持つ筈なのに恋愛結婚の離婚率が高い理由には二人の忍耐心が足りないからと言えます。「性格の不一致」などの言い訳の言葉だけで離婚に至る愚は、理性有る夫婦の何としても取るべき道ではありませんが、子供の養育や将来の事を考える時に離婚した父母を持つ子供には性格的な異常も多く見られ、自暴自棄から犯罪に手を染める子供も出るのですから、離婚には慎重を期すべきです。




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