毎日の三度の食事も美味く夜12時に就寝して翌朝8時の目覚まし時計で起きますが、夕食時にかなり大目の水分を取っても夜中のトイレは一回で済み、時には一度も行きません。午前中に新聞を読んだ後に彼は車で買物と所要を済ませ、午後3時になると庭に設置したピッチバックネットに野球の軟式ボール1千球を投げ込み、雨の日は1時間の散歩をボール投げに代え、午後5時からは二階に置いた距離計付き固定式自転車を約5キロ漕ぎます。これは全て彼の一日のノルマですから精神的にも体力的にも若い者に負けない自信が漲り、75歳以上の老人に必要な免許証更新時の高齢者運転講習会でも、第一回より第二回目、第二回目より第三回目と回数を追うごとに慣れも手伝って、教習所の教官が驚いたシュミレーションの操縦テストや学科の運転適性検査の成績は5段階中で5をマークしたのです。
「朝の最初の良い時間を、一つか二つの新聞を丹念に読む事で潰してしまう人は、終日仕事をする気を無くす。」これは日本人が好きな哲学者ヒルテイの「幸福論」中の言葉です。
ヒルテイは学者であり、聖職者でありますから俗事や雑学的知識などを蔑視する高級な人ですから、新聞記事を低俗に考えているのかもしれませんが、彼は毎日読む新聞紙の報道から世界情勢や世の中の流れや世間の動き等を窺い知る事に無限の喜びを見出す男です。読売と日経の二紙を購読しますが、時に図書館で英字新聞を閲覧しますが、年金生活者の特権である暇を十分に活用して丹念に熟読、玩味する事に喜びを見出す普通の平凡な男で、肩の凝らない読売新聞の記事は、毒にも薬にもならない程度でありますが、常識的に興味を引く話題が多く年金改正の記事や、その時々の最新医学ニュース、特に高齢者医療に関する記事や幅広いスポーツや娯楽面はざっと目を通すだけでも脳細胞を刺激しますから、老化を防いでくれる道具と思ってテレビを見るより、新聞に目を通す時間が多いのですが、新聞に報道される事件や事故、或は成功談や貴重な発明、発見者等々で発表される当事者の氏名を理法姓名学の判断調査の基として、吉凶判断の材料として重用しています。
日経新聞は一転して経済記事が主たる新聞なので読売より少々固い感じを彼は受けますが、読売と違う視点の記事が対照的で、硬軟の新聞紙を読む事は情報の偏(かたよ)りを防ぐと思います。
月に一度新聞は休刊しますが、彼に取って新聞休刊日は単調な生活の小さな波紋と同じで、空気や水がなくなって初めて、その有り難味を悟る様に、毎朝、食卓の上に置かれる新聞が無いのは洗顔後の髭剃(ひげそ)りを忘れた様な、又、風邪を引いても必ず入る風呂をたった一晩だけでも抜いた時の様に何か、物足りない空虚感を味わう日でもありますから、哲学者ヒルテイは、彼のこの新聞に対する愛着の思いを、小市民的偏向と嘲笑すると思いますが、新聞のない生活は彼にはどうしても想像も出来ないのです。