No.5 私の履歴書

 彼は日本経済新聞の「私の履歴書」を読む事が好きです。

 このコラムは功成り、名遂げた日本を代表する政界、財界、学界、芸能、スポーツ等々の著名人が自分の成功への栄光の軌跡を赤裸々に真実に真摯(しんし)に綴った自叙伝ですから、単なる出世話や自慢話の類ではなくて、その人、その人の人生哲学が詳述されているので、「真実は小説より奇なり」の言葉を文字通りに、忠実に証明するので彼は面白く読んでいます。

 戦前に生まれた人も、戦後に生まれた人も、辛い戦争体験のない人も「私の履歴書」の執筆者の人生航路は決して順風満帆ばかりでなく、波乱万丈、何時転覆するかの危険と隣り合わせ、何時、逆風や大嵐が襲うかも知れない狂瀾怒涛の荒海を乗り切った人も含まれます。 又、生まれた境遇も様々ですから銀の匙を咥(くわ)えて生まれ生涯を無事平穏に過ぎて学問の世界に大きな足跡を残した人もいますが、赤貧洗うが如き家に生れ、無一文から這い上がり、孤立無援で誰の助けも受けられず独力で道を開いた人も居ますが、豊かな天性に加えて超人的な訓練や切磋(せっさ)琢磨(たくま)の精進によって芸能界やスポーツの世界で金字塔を打ち立てた人と個々の功績は様々でも、キンサン、ギンさんが持ったと言う長寿ミトコンドリアを持つ人の子孫には長寿者が多いと言われますが、長寿の遺伝の法則は科学的に証明されていて、「瓜(うり)の蔓(つる)に茄子(なす)はならない」のであって、「私の履歴書」の成功者達は優秀な遺伝子を持つ両親から立派な遺伝子を受け継いだ人々であるとも言えますが、長寿の方も多い事からも、「世」に出られた大きな勝因に疑いなく成功者の天与の健康と長寿があると考えられます。

 その意味で健康は成功の原動力であると共に全てを超越する尊い幸福だと教えてくれて、「私の履歴書」を読む人に大きな感動を与えアメリカンドリームの夢を描かせますから、彼はこの「私の履歴書」の持つユニークな人生哲学的な成功物語的自叙伝を「終わり良ければ全て良し」の実践録としてこよなく愛するのですが、彼はこの「私の履歴書」の持つユニークな人生哲学を真似て「彼の履歴書」を書いて見たい誘惑を断ち切れないのです。

 その対照的に考えられる著作に山田風太郎の「人間臨終図巻」があります。 この「人間臨終図巻」は、世に名を成す事も大事でも臨終に当たって苦しまずに大往生を遂げる事の難しさを説いていますが、「こう言う死に方だけは絶対にしたくない!」のです。

 文壇の鬼才達―正岡子規、堀辰雄、石川啄木、国木田独歩等々が不治の病に冒され、長い闘病生活の苦闘の中で死んでいますが、特に樋口一葉や滝廉太郎等の所謂、神様の寵児たる絢爛たる才能の持ち主が結核と言う不治の病に侵され、不遇に死んで行く様を鬼気迫る、渇いた筆致で描いて居ますが、優秀な遺伝子を受け継ぐ者でも結核菌や黴菌やウイルスで死ぬ運命には勝てない悲惨さを克明に記し「私の履歴書」の暗黒版の感さえ与えられます。

  「私の履歴書」と「人間臨終図巻」を読むと幸福と不幸の明暗をくっきりと読み取れます。 「私の履歴書」の著名人は明らかに幸運に恵まれた方々で、所謂「世」に出た成功者ですが、そんなにも恵まれた人々でも少なからぬ人数の人が高校の高学年か大学に入学した年の前後に結核や呼吸器の疾患に罹って学校の休学を余儀なくされたのですが、若し、彼の様に、15歳で家を出て誰の援助も無く、孤立無援で苦学している人間が病を得たら、仕事が出来ませんから、収入の道を断たれ、学業どころか餓死する運命に直面しなければなりません。

 親の援助を受けず苦学する事は常識で考えても筆舌に尽くせぬ艱難苦難を彼に強いました。狂瀾怒涛の人生を生きる上でも健康的には彼の実父と実母が平均年齢以下で死んでいますから、彼の遺伝子が長寿ミトコンドリアを持つ筈など有り得ませんから精々が養生や摂生に心掛けても古稀前後の寿限であると思っていましたが、何と益軒先生が言う上寿を生きると言うのですから、これは科学的な遺伝の法則で律し難い超えた超自然的な何物かの功徳と言うより言い様が無いので、彼は理法姓名学の吉名効果の「お守り」と考えています。



  毎日の三度の食事も美味く夜12時に就寝して翌朝8時の目覚まし時計で起きますが、夕食時にかなり大目の水分を取っても夜中のトイレは一回で済み、時には一度も行きません。午前中に新聞を読んだ後に彼は車で買物と所要を済ませ、午後3時になると庭に設置したピッチバックネットに野球の軟式ボール1千球を投げ込み、雨の日は1時間の散歩をボール投げに代え、午後5時からは二階に置いた距離計付き固定式自転車を約5キロ漕ぎます。これは全て彼の一日のノルマですから精神的にも体力的にも若い者に負けない自信が漲り、75歳以上の老人に必要な免許証更新時の高齢者運転講習会でも、第一回より第二回目、第二回目より第三回目と回数を追うごとに慣れも手伝って、教習所の教官が驚いたシュミレーションの操縦テストや学科の運転適性検査の成績は5段階中で5をマークしたのです。

 「朝の最初の良い時間を、一つか二つの新聞を丹念に読む事で潰してしまう人は、終日仕事をする気を無くす。」これは日本人が好きな哲学者ヒルテイの「幸福論」中の言葉です。

  ヒルテイは学者であり、聖職者でありますから俗事や雑学的知識などを蔑視する高級な人ですから、新聞記事を低俗に考えているのかもしれませんが、彼は毎日読む新聞紙の報道から世界情勢や世の中の流れや世間の動き等を窺い知る事に無限の喜びを見出す男です。読売と日経の二紙を購読しますが、時に図書館で英字新聞を閲覧しますが、年金生活者の特権である暇を十分に活用して丹念に熟読、玩味する事に喜びを見出す普通の平凡な男で、肩の凝らない読売新聞の記事は、毒にも薬にもならない程度でありますが、常識的に興味を引く話題が多く年金改正の記事や、その時々の最新医学ニュース、特に高齢者医療に関する記事や幅広いスポーツや娯楽面はざっと目を通すだけでも脳細胞を刺激しますから、老化を防いでくれる道具と思ってテレビを見るより、新聞に目を通す時間が多いのですが、新聞に報道される事件や事故、或は成功談や貴重な発明、発見者等々で発表される当事者の氏名を理法姓名学の判断調査の基として、吉凶判断の材料として重用しています。

 日経新聞は一転して経済記事が主たる新聞なので読売より少々固い感じを彼は受けますが、読売と違う視点の記事が対照的で、硬軟の新聞紙を読む事は情報の偏(かたよ)りを防ぐと思います。

  月に一度新聞は休刊しますが、彼に取って新聞休刊日は単調な生活の小さな波紋と同じで、空気や水がなくなって初めて、その有り難味を悟る様に、毎朝、食卓の上に置かれる新聞が無いのは洗顔後の髭剃(ひげそ)りを忘れた様な、又、風邪を引いても必ず入る風呂をたった一晩だけでも抜いた時の様に何か、物足りない空虚感を味わう日でもありますから、哲学者ヒルテイは、彼のこの新聞に対する愛着の思いを、小市民的偏向と嘲笑すると思いますが、新聞のない生活は彼にはどうしても想像も出来ないのです。




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