彼は若い頃に読んだ或る有名な英国の随筆家の言葉を思い出します。
「人が長い間、商売をしていれば、必ず自分の毎日やっている事が悪に役立っているのか、善に役立っているのか大いに考えて見たい気になるものだ。」
確かに人が七十年、八十年と飽きもせず長く人間商売を続けていれば自分の人生が幸福だったのか、不幸だったのかを大いに考えて見たくなると思うの人情であると考えています。
昔から偉い学者が「幸福論」を書いて来ましたが、世間を知らない学者先生に人の幸、不幸を究明(きゅうめい)出来る筈がありませんが、彼は幸、不幸の判定資料に幸福な事例の人を日本経済新聞の「私の履歴書」の執筆者に求め、不幸な人の事例は山田風太郎の「人間臨終図巻」の登場人物に求めましたが、「私の履歴書」の人々を幸福な人と考え、如何にも地獄図の断末魔で死ぬ人を、幸福な人とは認められませんから、「人間臨終図巻」の人物は不幸の例証です。
「私の履歴書」の執筆者達は現在の日本の各分野を代表する成功者達であり、自らの経歴を赤裸々に述べた彼等の優れた自叙伝で立志伝であり、出世物語であり日本版アメリカンドリームの夢を叶えた人の記録であり「終り良ければ全て良し」の象徴が歴然だと思います。
裕福な家に生まれ好き放題にわが世を謳歌しても、尾羽打ち枯らし身の置き所も無く老衰して果てる敗残の姿を見せれば不幸の例証と取りますから、臨終模様が苦しめば不幸です。
紫式部を愛人に持って「光源氏」に擬せられた藤原道長が権力の絶頂にいて、好色、グルメ、美女、美酒、山海の珍味の果てに悪性の糖尿病に罹り、余病を併発、手足は雷の如き痛みと痺れが走り、眠れば胸部に激痛が突き刺さり、身体の五臓六腑、手足の関節迄が容赦無く攻め立てる地獄の拷問こそは、自らが招いた贅沢病の報いであると言う医学的な現象とは露知らず、只管(ひたすら)、兄の藤原道兼や三条天皇の怨霊(おんりょう)の祟りだとばかり信じ、加持(かじ)、祈祷(きとう)に狂奔し、法成寺建立に努力しても断末魔の激痛は道長を苦しめ、強烈に刺し貫き「死にたくない」と泣き叫び、この世に未練を残して死にましたから彼は道長を不幸な典型と考えるのです。
三島由紀夫は東大を出て大蔵省のエリート官僚から作家に転身し、古典主義的な緻密な構成と華麗な文体で、独自の様式美を備えた文学世界を展開、唯美的なナショナリズムに傾斜し、自衛隊で割腹自殺しましたから、華やかな経歴の持ち主でも不幸な人であると彼は思います。同じ登場人物でも西行法師は鳥羽院下北面の武士として仕え、23歳で出家し、生涯に亙って旅多く、旅の体験を通して自然と心境とを詠み、独自の詠風を築いたと言われる人ですが望み通りに望月に満開の桜の木の下で死ねた人でありますから、幸福な人だと考えます。
天下統一の道半ば、本能寺で明智光秀に殺された織田信長は偉大であっても不幸な人です。
少年期には今川義元の人質として苦労しても、徳川300年の江戸幕府を創立して天寿を得て死にましたから徳川家康は幸福な人でありますが、若くして志半ばで死んだ坂本竜馬、高杉晋作、佐久間象山、西郷隆盛等の明治維新の英雄達は不幸な人達で、岩崎弥太郎、福沢諭吉、伊藤博文、山縣有朋等は幸福な人と言えても新5千円札の肖像画の樋口一葉や滝廉太郎等は、芸術の神の寵児であっても難病に罹って夭折した以上は不幸な人に数えます。
彼の幸福観は「終り良ければ全て良し」ですから、例え名も無く地位も無い人で平々凡々の人であっても、病気に悩む事無く健康で一生を過し、所謂、ピンピンと生きて、長く患い病む事無く、コロリと大往生を遂げる人も苦痛を知らないだけに本当に幸福な人と考えるのです。