昔の人は憾みを残して死んだ霊は「 祟 ( たた ) る」と信じ、菅原道真の 怨霊 ( おんりょう ) が疫病や飢饉や台風や地震などの災害を呼び、時の権力者を震え上がらせたなどと信ましたから、その怨霊への「畏怖」の念が嵩じると、今度はその祟り神の力が強大であればあるほどその祟り神を鎮魂すれば逆に今度は災害や天変地異への防御力、つまり、毒薬が変じて良薬になると勝手に思い込み、「天神様信仰」が生まれたのですが怖いのは病気で「天神様」も救ってくれませんから、入院すれば診療ミスや治療ミス等があり、交通事故等で緊急病院に担ぎ込まれたとすれば、汚染血液、輸血ミス、果ては院内感染 では 迂闊 ( うかつ ) に入院も出来ないと言わなければなりません。
養生訓の著者貝原益軒の名は没後 300 年にして日本の最も著名な医者の名前となりました。養生訓の書かれた時代は徳川政権が確立されてから 30 年後の家光の時代で、 絢爛 ( けんらん ) たる元禄文化や 爛熟 ( らんじゅく ) した町人文化に代表される如く戦いのエネルギーが必要無くなり、「自分の楽しみを享楽」する時代に変わった頃で、ある程度の物質的に恵まれた人々は、より美しいものを求め生み出し、文化の質を高めましたから、各地から 齎 ( もたら ) される美味、美酒の類は飽食の悪習を生み、爛熟した時代はやがて大名や旗本に贅沢と華美を戒める吉宗の「倹約令」に繋がった時代であり、 益軒の説く所は、摂生と養生で 300 年経った現在でも健康法の真理です。今の日本人は経済大国の驕りに克己心を失い、何事も我慢、辛抱、倹約をすると言う美風を忘れて贅沢に溺れ、苦い苦言や忠告を若者に放てば、忽ち若い世代は「キレ」るのです。
益軒の時代と現代では生活環境が異なり、栄養の摂取方法一つを取っても決して同一には取り扱えませんが、人間と言う生物の生き方には変化はなく 飽食 と 無摂生 が人間の寿命を縮め、余病を誘発し、不幸の種を撒き散らしている事には間違いはないと彼は強く思うのです。
「酒はほろ酔いが良く、たけなわの半ばで止める。食は飽食の半ばでとどめ、腹いっぱいにしてはならぬ」と説く益軒は 「聖人は未病を治す」と言う教訓を次の様に説明しているのです。
「病気がまだ起こっていない時に、あらかじめ用心すれば病気にならないことである。
若し、飲食・色欲などの肉欲を我慢せず、風・寒・暑・湿の外邪を防がないと、犯される所は少しでも、後で長い大病をする。肉欲と外邪を慎まないため、大病となって思いのほか深く悲しみ、長くくるしむと言うのが病気の常である。
病気になると、病気自身の苦しみだけでなく、痛い針で体を刺し、熱い灸で体を焼き、苦い薬で体を攻め食べたいものを食べず、飲みたいものを飲まないで体を苦しめ、心を痛ませる。病気の無い時にあらかじめ養生を良くすれば、病気は起こらず、目に見えない幸福になる。」
「薬を飲まないで自然に治る病気が多い。これを知らないで、無闇に薬を使って、薬にあてられて病気を重くし、食欲をなくし、長く治らないで死んでしまう者もまた多い。薬を使う事には用心しなければならない。」
彼は未病を防ぎ、健康を保つには理法姓名学の吉名効果が第一であると考えていますが、理法姓名学の吉名効果を最も的確に証明出来る方法は、 85 歳になっても風邪も引かず、 矍鑠 ( かくしゃく ) と日課のボール投げを怠らず、自転車漕ぎや逆立ちに専念出来る彼自身であると言えます。